飛騨・美濃伝統野菜「まくわうり」信長の時代から未来へ@岐阜県本巣市

こんにちは。
北海道在住、
野菜くだものハンター、
食と農のコンサルタントの田所かおりです。

今回は、岐阜県の飛騨・美濃伝統野菜
「まくわうり」についてのレポートです。

日本では最も古い野菜の一つで、
古くはウリといえば、マクワウリを指し、
ウリ類を代表する野菜でした。

『野菜 在来品種の系譜』には、
『記紀』や『延喜式』など古代の重要な
文書には必ず登場し、
『万葉集』のなかの山上憶良の
「瓜食めば子供も思ほゆ・・・・」
の歌はよく知られている。
美濃国(岐阜県)本巣郡真桑村(現本巣市)が
本種発祥の地、あるいは特産地として知られ、
真桑瓜の名が生まれた。
とあります。

ちなみに歴史上の人物、
織田信長も好んで食べたといわれています。

そんな伝統野菜「まくわうり」を求めて、
8月上旬にまくわうり栽培研究会さんの
畑に伺いました。

こちらが今回お話を伺った
まくわうり栽培研究会 会長の守谷さんです。

研究会の発足は平成2年。
昭和40、50年代ごろには
この周辺の「まくわうり」生産農家の方が
数件になってしまったそうで、
「まくわうり」を後世につないでいこう
という目的で発足されました。
今は、「まくわうり」に関心を持つ
18名のメンバーで活動されています。

まずは「まくわうり」の栽培についてです。
播種は4月中旬に行います。
5月下旬に本葉が3,4枚くらい出た苗を
定植します。
株間は130㎝、畝間は3.5メートル。
黒マルチに藁を敷いて栽培されていました。

定植して1週間ほどで、摘心をし、
4本に仕立てます。
このころは、本葉が5枚くらいだそうです。

その後、畑からはみ出た枝を整理する
作業などがあり、
収穫は例年7月下旬くらいから
8月上旬くらいまで。
ちなみに今年の収穫は7月21日から始まりました。

「まくわうり」は開花から30~35日で
収穫を迎えるといわれているそうです。
もしかしたら、シーズン始めのころと、
後半とでは、生育具合が違うかもしれないので、
40日くらいもあるかもしれないとのこと。

1本の苗に大体20から30個実るそうです。

「まくわうり」は完熟したら、ツルの付け根から
実が落ちる性質の「落ち瓜(おちうり)」なので、
収穫は拾う作業になります。

まるで、宝物探しのようです。

収穫した果実のうち、
表面やお尻が割れたりしたもの、
拾い遅れでやわらかくなったものなどを除き、
出荷基準を満たすものは、大体半分くらい。
丁寧に拭かれて、
重さでLL(450g以上)、L(449~350g)などに
分けて、

伝統野菜のシールを貼って
JAぎふの産直施設おんさい広場真正さんに
出荷されます。

こちらが、お尻が割れたものです。

暑いときに雨がザーッと来ると、
収穫時期が近い果実が、割れてしまうそう。
特に夕立はよくないとのこと。

取材時は2週間近く降雨がなく、
大きな被害はないようでした。

出荷できないものは、加工に回されます。

岐阜農林高等学校の高校生が
まくわうりを活用した商品開発を
地元の企業さんと行っており、
真桑瓜アイスや水まんじゅう、ラーメンなどに
加工されて販売されているそうです。
高校でも栽培をされているとのこと。

ちなみに、樽見鉄道 北方真桑駅のホームには
「まくわうり」が描かれた看板があるという
情報を仕入れ、
駅に行って写真を撮影してきました。
こちらも高校生のデザインだそうです。

地元特産物を盛り上げる、
素晴らしい活動と思います。

また、「まくわうり」の加工品としては、
昔から、恵比須屋さんの
「まくわ瓜羊羹」が有名だそうです。

「まくわうり」栽培で、
その他にご苦労されていることを伺うと、
地のもの、地域に合ったものが残っているので、
他のウリ類に比べて、
肥料、害虫、病気に鈍感とのこと。

それでも、うどん粉病は出やすいので、
定植時と収穫前に防除を行うそうです。
肥料は、元肥のみとのこと。

種は毎年採種されていて、
1個で数百粒種が入っているので、
1個あれば十分ですが、
念のため2個から種を残します。

選ぶ基準としては、
やや中央がくびれている俵型で
10本の筋が入り、香りが良いもの。
色は、黄緑から黄色。

この10本の線が「まくわうり」の特徴とのこと。

研究会発足した頃は、甘さを求めて
「まくわうり」の品種改良をされたそうですが、
線が10本ではなくなったり、
完熟してもツルから外れなくなったり、
元々の性質と変わってしまうので
改良は辞められました。
あくまでも原種を残すことを
大切にされているそうです。

これからも伝統野菜「まくわうり」を
そのままの形でつないでいってほしいです。

帰宅して、まずは生でいただきました。
織田信長は、皮を剥いていたかはわかりませんが、
(かぶりついていそうですが・・)
とりあえず、こんな感じでいただきました。

糖度は6度。
さわやかな甘さと香りで美味しく頂きました。

そして、恵比須屋さんで手に入れた
「まくわ瓜羊羹」です。

原材料名から香料は入っていませんが、
「まくわうり」のさわやかな香りを
ほのかに感じることができました。

一般的な小豆の羊羹と比べて
甘さ控えめでさっぱり。
美味しく頂きました。

生でも、加工品でも。
楽しみ方はいろいろ。
みなさまも信長の愛した味を
味わってみてはいかがでしょうか。

◆御菓子司 恵比須屋
所在地:岐阜県本巣郡北方町北方1710-1
http://ebisuya-gifu.com/

◆JAぎふの産直施設 おんさい広場真正
所在地:本巣市宗慶467-1
https://www.jagifu.or.jp/about/store/detail.php?id=543

入口の壁に「まくわうり」の紹介がありました。
地元直売所でも地域の誇りにされていることが
感じられて、嬉しくなりました。

気になった方はぜひどうぞ。

取材にご協力いただきました皆様、
ありがとうございました!

今日はこのあたりで。
食と農の未来がより豊かになりますように。

~マニアックな方向け情報~
「まくわうり」は、真桑から様々な場所に
伝わったとされていて、
各地には「まくわうり」を親とする
品種、系統が残されているようです。
例えば、「佐賀青縞瓜」もその一つ。
『日本のふるさと野菜』には、
自然交配による作出で、
「マクワウリ」が
親なのではないかと記載されています。

今後の取材で、「まくわうり」を親にした
系統には出会えそうなので、
今回は、「まくわうり」が
日本に来るまでの道と、
国内での扱われ方、呼ばれ方について
掘り下げたいと思います。
以下、詳細が記載されている
『日本の野菜文化史辞典』の引用です。

・メロンは古代にエジプト、中央アジアから
中国まで広まり、これらの地域で
重要な作物として栽培された。
・中国では『礼記』や『詩経』
(紀元前3、4世紀)に瓜とあり、
相当古い時代にシルクロードを経て
中国に伝わったといわれている。
・中国の中央部や東部では西洋の気候に
適応したマクワウリが成立し、
マクワウリはさらに2、3種類の
品種群に分化した。
・わが国には有史以前に渡来したことは確実で、
弥生時代の各地の遺跡から
メロン類の種子が出土している。
そして、この時代の出土種子は雑草メロンと
同様な小粒種子が多く、奈良、平安時代の
遺跡から出土するものは一転して大形化し、
鎌倉時代以前は現在のマクワウリ、
シロウリと同程度の大きさに変わっている。
・古代はマクワウリのことをウリと呼んだが、
その後キュウリなど各種のウリが
栽培されるようになり、
これらと区別できるようアマウリ、アジウリ、
マクワウリなどと呼ぶようになったものであろう。
・『物類称呼』(1775年)をみると
「甜瓜(まくわうり)」、西国にてはアジウリ、
江戸ではキンマクワ、仙台ではウリ、
佐渡ではチンメウと呼ぶと記している。」
・現在でも東北地方や九州には、
マクワウリをウリ、あるいはマクワと
呼んでいる地方が多い。
また、アマウリ、アジウリの地方名も
全国各地にみられる。
・西洋で成立したマクワウリには、
肉質が脆弱で肉が白く、
外皮が滑らかで色白の果物的品種と、
肉質が粘質で緑色を呈し、
外皮は黄緑色でざらつき、
間食に適するような品種群とがある。
昔から栽培されたのは後者で、
成熟しても白緑色のものは銀マクワ、
外皮が黄色になる品種は金マクワと呼んでいる。
・戦後はマクワウリに代って、
我が国の風土に馴化したマクワウリと、
欧州系や中近東系との一代雑種が進出し、
〇〇メロンの名で広く栽培されるようになった。

※参考文献
・『ものと人間の文化史43 野菜 在来品種の系譜』
青葉高著 法政大学出版局
・『日本の野菜文化史辞典』青葉高著 八坂書房
・『日本のふるさと野菜』芦澤正和監修 野原宏編 
社団法人日本種苗協会

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